キーコンセプト3【熟達】
キーコンセプト第三弾は、「熟達」です。私は、仕事を通じて成長するという考え方が総体として嫌いではありませんが、使われ方によっては反吐が出るくらい嫌いです。
「成長」―――最悪の事例
異様な負荷がかかる状況から、必死で這い出て、何かができるようになったのかそれとも単に苦労を乗り越えただけなのかわからないが、達成感を味わっている状況を指して使われることば
ブラック企業の香りのすることばです。よし、お前は試練を乗り越えた、成長した、と言って「単に課業する側や労務管理の不備でしかない事態を正当化する」言い回しです。ふざけるな、と思います。たとえるなら、レイプしておいて、「気持ちよかっただろ」「おまえ最後まで反抗しなかっただろ」と正当化してこようとする嫌らしい暴力みたいなものでしょうか。
それに比べると
【成長】
今までできなかったことが、工夫や技術によってできるようになること。今までできていたことがもっと早くできるようになること
には、実質的な価値があると私は思っています。私にとっての成長とは、あくまでも熟達です。修羅場体験とかどうでもいいです。安易に、修羅場体験とか口にするから、企業人(のなかでもかなり頭の悪い部類)が、単に負荷をかければ人は育つ、というような単細胞ちっくな発想をするわけです。これは、安易にこうした概念を振り回す経営学者にも大きな責任がある。