B☆らぼ

知っている、から、理解できた、へ。理解できた、から、できる、へ。ビジネス知識からパフォーマンスへの橋渡し

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苦行としての労働

 自分で苦行を積んでいるだけの人は、単に見苦しいか、鬱陶しい人です。しかし、他人に苦行を押し付けてくる人間は、自分の性癖を他人になすりつけてくる暴力的な人間に他なりません。

 

 苦行としての労働を良しとしている人が気持ち悪いのは、自分ひとりで苦行を抱え込んで海に沈んで貝のように黙っていればいいのにかかわらず、往々にして声がでかいところです。

 

 大した仕事量もないくせに、「忙しい、忙しい」と口癖に言って、働きぶりをアピールしてくる人はいませんか? で、上長が成果原理ではなく努力原理で動いていて、なおかつ、プロセス志向ではなく、努力の表現として残業をとらえているような場合は悲惨です。効率よく仕事ができて早く帰れるような状況でも、残業をしている人間が評価されるとなると、残らざるを得なくなります。

 

 これが習慣化してくると、誰も残業がしたくないにもかかわらず、残業しなければ仕事をしていないかのような香りが漂う職場が誕生し、「誰も残業しない」状況が一番望ましいにもかかわらず、個人の選択肢として「残業する」ほうが「残業しない」よりも望ましく、集合的な意思決定として望ましくない「みんな残業する」という事態が生まれるという均衡状態(落ち着きどころ)が生まれかねないわけです。

 

 マゾヒストは自分で手足に枷をつけて一人で喜んでいればいいのです。にもかかわらず、別にマゾヒストではないのに、苦行を強いられる側からしてみると居心地が悪くてたまりません。

 

 私は仕事をするのが嫌いではありませんが、居残り残業は死ぬほど嫌いでした。また、他人が時間いっぱいに仕事を詰め込んだことによって、波及的に時間拘束されるのも死ぬほど嫌いです。

 

 

 疲労を残さないところで、無駄なプレッシャーのない状態で、新しいアイデアを模索したり、本を読んで情報をインプットする方がはるかに効率的ではないでしょうか。