B☆らぼ

知っている、から、理解できた、へ。理解できた、から、できる、へ。ビジネス知識からパフォーマンスへの橋渡し

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努力の価値は……

努力で何とか持っている会社と、良くできている会社

 二つの組織があります。一つ目は、管理者も従業員が必死になって、ミスを少なく、高品質な仕事をしています。二つ目は、管理者も従業員も落ち着いて仕事をしています。品質を担保する仕組みができており、さしたる注意力を払わなくてもよい仕事ができます。さて、この二つの組織のうち、どちらに仕事を頼みたいでしょうか?

 

 

 必死な努力なんて価値はない

 

 色々な考え方があるかもしれませんが、私なら後者です。注意力を全身全霊で注がなければ品質が維持できない仕事は、水準(レベル)が低いのです。仮に、誰かが疲れてミスをした時、管理者の注意がたまたま削がれたとき、仕事の質が落ちます。

 

 他方、品質を自動的に担保する仕組みがある組織では、人の注意力に仕事の質が依存していないため、水準は高い、と言えます。属人的な要素でばらつきが生じないからです。

 

人間は完ぺきでなく、努力も完ぺきではない

 努力をするときに、ひたすら目の前のことに原始的な形で注ぎ続けていても、ほころびがでることがあります。人はどれだけ完ぺきに体調管理をしようとしても、無理です。プロスポーツの選手が、極めて慎重なケアを行っているにもかかわらず、調子を落としてしまうのを見れば、明らかでしょう。

 

 風邪をひいたり、寝不足であったり、失恋したり家庭内の不和で気分が落ち込んでいるような状況であっても、良い仕事ができる組織のほうが安定的ですし、信頼できるのです。同じ努力をするなら、どうすれば楽にできるかを考えた方が良いという理由はここにもあります。

 

努力の蓄積か、努力の消費か

 人の努力を、工夫として形にすれば、属人的なばらつきは減ります。一方で、努力を消費し続ける仕事の仕方は属人的なばらつきを抑えることができません

 

 このように表現すると、標準化が難しい業務もある、という反論が聞こえてきます。当然です。しかし、標準化が難しいということは標準化が不可能であるということを意味しません。標準化ができるところについてすればいいし、マニュアルが完備できないなら、実地の学習のなかで、良い仕事の仕方を普及するというのでもいいでしょう。それこそ、工夫の仕方はたくさんあります。

 

  私が思うに、仕事は努力の直接的な結果であるべきではなく、努力の結晶の上に築かれるものだと思うのです