B☆らぼ

知っている、から、理解できた、へ。理解できた、から、できる、へ。ビジネス知識からパフォーマンスへの橋渡し

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スキル・知識・ノウハウ

私にとっての能力論

  自分語りというものは押し並べて気持ち悪いものですが、スキル・知識・ノウハウといった概念について話をしようと思うと、まずは自分のことを俎上に挙げざるをえません。

 

 ファーストキャリアで培ったもの

 

 私は、新卒でコンサルティング会社に入社し、それなりに仕事も熱心にやったので、データの分析をしたり、プレゼンテーションの資料を作ったり、といった仕事はそれなりにできます。

 

 ただ、自分の中では、それは別にコアではないんだ、と位置付けています。決して面白くない仕事ではないですが、やりがいがあるわけでは特にないです。

 

経営(学)に関する知見

 最近では、経営学に関する知識もかなり厚みを増してきました。これは、ビジネスで利用するフレームワークなどを超えて、経営学に関する論文を数多く読んでいます。経営学の論文はビジネス書などとかなり趣が異なっており、地味な実証研究を積み重ねるフィールドです。

 

 経営に関する様々なテーマについて、知識やノウハウを蓄積することが、私自身が育てるべき・蓄積するべき知的資産であると考えています。ただ、私は経営のことを考えるのがすごく好きというわけではありません。

 

 予算を作ったり、経営計画書を作ったり、企業のライティングをするのも好きですが、それが全てではありません。

 

好きなこと(企業にとっての基礎研究的な何か)

 私はいろいろなことを考えるのが好きです。とりわけ好きなのは、哲学書です。ヨーロッパ系の哲学書ではなく、英米系のいわゆる分析哲学と呼ばれるものを好みます。ここ最近では、デイヴィドソンの本を熱心に読んでいました。

 

 大学生の頃、熱心に読んだのは、スティーヴン・スティッチの『断片化する理性』(当時は翻訳がありませんでしたが)でした。別に哲学書を読むのは、ビジネスの基礎には哲学があるべき、とかいうまるで意味不明な理由からではありません。どちらかというと、こういうことを考えることができるのか、という純粋な知的好奇心からです。

 

 会社員になってからは、戸田山論理学を熱心に解いていました。今は、David BostockIntermediate Logicで論理学の勉強を亀のように進めています。私は、人間の推論のメカニズムについてすごく興味を持っています。ただ、論理学の勉強をやったら、ロジカルシンキングに役立つだろう、というようなことはあまり考えていません。

 

 ごくごく短期的なタイムスケジュールでは、哲学や論理学の本を読むことはビジネスで役に立つことはないでしょう。もしかすると、死ぬまで、金銭的な報酬には結びつかないかもしれません。長期的には、どこかでこの分野に対する興味関心がお金に結びつくことがあるかもしれませんが、私は期待していません。

 

 ただ、そうした知的好奇心は私にとって、普段の生活と関係ないことを考える大切な時間、機会をもたらします。

 

 直接知識が活かせる機会はほとんどありませんが、ビジネスの文書を分析する時に全く役に立たないわけではありません。

 

何が人生を豊かにするか

 私の読書や関心に厚みをもたらしているものがあるとすれば、おそらく、そうしたバックボーンなのだと思います。電子書籍を書かせてもらったときに、ビジネス書ばかり読んでいる人間はつまらないと書きました。そこで強調したことは、人のスキルや能力の厚みを作るのは複数の関心であるということでした。私の興味関心は今のところ、お金に全く結びついていませんが、人によっては趣味が大きく花開いたという例もあります。

 

ビジネス書はビジネス書の枠内で書かれている本がほとんどですが、ビジネスは別にどんな知識やどんな方法を使って取り組んでもよいものです。ビジネスの中で、コンテンツにあまり依存しない形で使える形式的なテクニックがビジネス書として結実してはいますが、世の中には本当にたくさんの関心があります。同じだけ切り口があります。

 

一つ、二つ、三つ……具体的な数はどうでもよいですが、複数の知的出自があった方が知識や考え方に厚みが増すのは言うまでもないことです。私自身そうですが、多くの人は、ビジネスに活かすために勉強しているわけではありません。むしろ、働く、ということは人生にとって一つの側面でしかありません。

 

しかし、同じ人間が二つのことに取り組んでいると、一つの頭の中で二つの物事を考えることになるため、自然と関連性を探したり、片方の考え方をもう片方に応用しようとしたりします。一つのことだけに取り組むよりも、二つのことに取り組むことによって、双方に単独よりも良い影響を与える補完性が生じる理由はそこらへんにあると思っています。私は、補完性に期待してはいませんが、補完性を信じてはいます。自分がしたいと思ったことにその時々で全力で取り組み、有望なものについては生活の中に取り込むこと―――それは、私の人生に総合的にプラスになると考えています。

  

そして、そうして自分の育てた能力の上で、これまで自分にできなかったことや理解できなかったことに取り組み、その経験をさらに積み上げていくことで、楽しい人生が送れるのではないかと本気で考えているのです。